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2024-05-13

ソロ便り Kabar dari Solo

日の出医療福祉グループは、将来の介護人材不足に対応するためインドネシア政府労働省と連携し、インドネシアのスマトラ島にあるメダン国立職業訓練校で、日本語と介護技術を教える介護人材の育成プログラムを行っています。2023年度4月から、第1期となる修了生が日の出医療福祉グループの事業所を中心に就業しています。また、11月~1月にかけて2期生が来日し就業を開始しました。2024年度の就業に向け、3期生も日本語の試験や介護の試験に合格を目指しています。

今回は、新たにインドネシア共和国の国立大学である「セベラスマレット大学」と連携し、人材育成の寄付講座を実施することとなりました。そのプログラムで日本語講師を務める川崎先生からのレポートです。

このレポートに込められた先生自身の想い
「プログラム卒業生が出来る限り長く日本で働いてみたい、日本で介護の専門家としてのキャリアを構築したい、また日本での経験を生かしてインドネシアで将来活躍したいと思える環境を今後創造していく中で、インドネシアの文化や生活習慣を、日本の方々に、少しでもご紹介できる機会があればと考えます。
彼ら彼女らの文化や生活習慣に、ほんの少しでも触れて頂くことで、インドネシアからのプログラム卒業生を受け入れてみたい、一緒に働いてみたいと思ってくださる受け入れ先が増え、また同時に彼ら彼女らもインドネシア人としての誇りを損なうことなく、大変だけれども楽しく日本で働ける、そんな環境の創造の一助になればと思います。」

家族の笑顔に出会う断食月(bulan puasa/ Ramadan)

断食 (プアサ/puasa) と言えば、飲まず食わずの辛い修行というイメージが浮かんできます。そんなイメージとは裏腹に、ソロ(※)の下宿先の家族の断食に参加してみて、日本人の私が目にしたのは、飲まず食わずという苦しさの先で出会ったたくさんの笑顔。私が出会った数々の笑顔は、静かにそして優しく、しかし力強く私に問いかけてきます。あなたが忘れている大切なものはありませんか?

※ソロ:インドネシア・ジャワ島中部にある都市スラカルタ市のこと。1745年、マタラム王国の王都がソロ(Solo)の地に移され、そこを「スラカルタ」と名づけたことによる。現在でも、この地を「ソロ」と呼ぶ人が多い。

断食の朝

日本・インドネシアの別を問わず、多くの一般家庭で、一番早起きなのは誰かといえば……。私の答えは、お母さん(seorang Ibu)。渋る家族を起こして、朝食の準備をして、家族を学校や職場に送り出して、掃除に、洗濯、後片付けとお母さんの朝は大忙し。(このコラムの冒頭にある写真の女性こそ、私の下宿先の「お母さん」です。)

さらに、日本ではちょっぴり馴染みの薄い、1年に一回やってくる断食月ともなれば、お母さんの仕事は、想像もできない早朝、もはや夜といっても過言ではない時間から始まります。私がお世話になっているインドネシア、ソロ(スラカルタ市)の下宿先のお母さんの朝は、なんとまだ暗い午前2:00頃から始まります。日中の断食に備えて、日が昇る前(日の出前のお祈り)までに、食事(サウール/Sahur)をとり終えていないといけないからです。因みに、断食中は、水分も取れません。
ご飯を炊いて、簡単なおかずや飲み物を準備します。食事の準備をしながら、きっちり洗濯もこなしています。
午前3:00頃、近所のモスク(イスラム寺院)から、サウ~~~~~ル、サウ~~~~~ル の呼び声が聞こえたら、家族を起こし始めます。各々が自分にとって必要なだけのご飯とおかず、温かい飲み物を頂きます。


とある日のサウール・メニュー。この日は、前日の野菜料理とゆで卵のお残りもあって、豪華なサウールに。
大皿から取り分けたおかずをご飯の上にのせます。

眠い目を擦りながら、何とか無事に朝食(Sahur)を取り終えた午前4:00過ぎ、イムサ~~~~~ック、イムサ~~~~~ック(Imsak) という声が聞こえてきます。断食開始の合図です。この時、断食前の最後の水分を急いで取ります。
もし、うっかりサウールの時間に、朝寝坊したら……大慌てで食事を掻き込むことになるか、朝食なしで、断食の1日を乗り切ることになります。
日の出前のお祈り(スッブ/Subuh)を済ませたら、学校や職場に向かう時間までしばしの休息(仮眠)を取ります。
家族が、休息を取っている間も、お母さんの朝は終わっていません。食事後の後片付けをして、洗い終わった洗濯物を干して、ようやく短い休息です。日中は、できる限り普段通りに過ごします。

夕方

午後4:00過ぎ、断食で静けさを呈していた町中に活気があふれ始めます。小さな屋台が通り沿いに並び始めます。断食月には、いつもの屋台の隙間をぬって、手作りの甘い飲み物や、デザートを手に臨時の屋台を出店する女性たちも現れます。一日の断食の終わりに向けて、あちらの屋台、こちらの屋台へと飛び回って準備に奔走する人。通りには、様々な人が忙しく行き交います。

こうして町が活気を取り戻すころ、お母さんの忙しさも再開です。今度は、断食明けの軽食と晩御飯の準備に取り掛かります。お母さんも断食の場合、この時間は、味見が出来ないので、味付けは長年の経験と勘が命。とはいえ、食べる前にちゃんと味見をしていると思いますが……。
一日の断食は、夕方のマグリブ(Magrib)と呼ばれるお祈りの時間をもって終了します。ソロでは、午後6:00前。その時間に合わせて、テーブルに温かいお茶やコーヒー、手軽につまめる揚げ物、甘味、果物や蒸した落花生など、その日手に入れることが出来た精一杯の糧が並びます。そして、お母さんの忙しさに、一段落がつくころ、モスクから夕方のお祈りの呼びかけの声が聞こえてきます。待ちに待った断食明け(buka puasa)の時間です。

断食明けの家族の時間

私の下宿先では、決して、テレビCMで見かけるような豪華な断食明けの食卓が繰り広げられるわけではありません。
それでも、家族や親しい友人と、ささやかな断食明けの食卓から最初の一口を頂くとき、皆に笑顔が広がります。その笑顔は、たくさんの優しさや思いやり――インドネシア語でberhatiと表現したいと思います――が、なんでもない日々の生活の中にもあることに気づかせてくれます。インドネシア語のberhati は、心(hati)の動詞形で、「心をおく」といった意味合いがあります。笑顔に込められた特別な心が、日々の生活の中で、私にとって、当たり前の事になってしまっていたのかもしれません。

ソロでの、一見簡素でありながら実はとても豊かなこの食卓の経験は、私に宗教上の義務の実践の一つとしてだけではない、断食の別の顔にそっと触れさせてくれたように思います。もしかしたら、断食月は、毎日の忙しさの中で置き去りになっていた大切な人達との絆に思いを馳せ、ほどけかけた結び目を、ゆっくりゆっくり丁寧に結び直す――インドネシア語では、mengikat tali kekeluargaanと表現できます――為の時間なのかもしれません。インドネシア語での表現には、「家族(keluarga)になってゆく為の紐(tali)を結ぶ(ikat)」という意味合いが含まれています。

ソロでのお母さんが入れてくれる甘くて温かい紅茶を手に、今日も一日無事に断食を終えられたことに安堵しながら、目の前の大切な人達と共に食事がとれるという、なんとも当たり前でなんとも特別な幸せにひたります。
そんな時、遠く離れて日本に暮らす家族や友人達のことを思い出さずにはいられません。

どうかこの温かさが、海の向こうの皆のもとにも届きますようにと、祈らずにはいられません。

2024年 4月4日 断食月のソロにて

この記事を書いた人

川﨑 尚美

インドネシア共和国 国立セベラスマレット大学 日の出医療福祉グループ寄付講座 日本語講師

日本での大学在学中、インドネシアのジャワ更紗と出会い、その魅力の虜となる。ジャワ更紗の魅力が忘れられず、人生の紆余曲折を経て、40歳を目前にジャワ更紗の生産で有名なインドネシアーソロへと留学。
同地、スブラス・マレット大学にてインドネシア語を学び、同大学大学院にて修士号、博士号取得。
大学院在学中、ハルジョナゴロ工房にて、ジャワ更紗の製作にも挑戦。
日の出医療福祉グループの人材育成プロクラムの支援活動に携わる。