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2024-05-20

ソロ便り②

日の出医療福祉グループは、将来の介護人材不足に対応するためインドネシア政府労働省と連携し、インドネシアのスマトラ島にあるメダン国立職業訓練校で、日本語と介護技術を教える介護人材の育成プログラムを行っています。2023年度4月から、第1期となる修了生が日の出医療福祉グループの事業所を中心に就業しています。また、11月~1月にかけて2期生が来日し就業を開始しました。2024年度の就業に向け、3期生も日本語の試験や介護の試験に合格を目指しています。

前回に引き続き、インドネシア共和国の国立大学「セベラスマレット大学」での、日の出医療福祉グループ提供プログラムで日本語講師を務める川崎先生(写真左)からのレポートです。下宿先のお子さんとのツーショットを送っていただきました。

前回記事はこちら

“ありがとう” と “ごめんなさい” が伝わる祝日 (Hari Raya Idul Fitri)

一か月という長きにわたる断食の終わりが見え始める頃、大切なお休みを家族と過ごすために故郷へと急ぐ人達の慌ただしさが、町を覆い始めます。日本でのお盆休みやお正月休みの前に漂う雰囲気によく似ています。
故郷という場所で自分の帰りを待ちわびる人がいるという安心感、そこへと向かうちょっと幸せな慌ただしさ。そんな町の慌ただしさを肌に感じ、ふと、そういえば長い間、そんな幸せな慌ただしさを忘れていた自分に出会います。離れて暮らす家族や親しい人達と、ただ祝日を共に祝うという為に忙しくできる幸せが、そこにあるような気がします。

 

祝日の前日

台所では大切な祝日を迎える為の準備で、下宿先の女性陣は大忙し。あちらこちらへと軽やかに飛び回ります。この時ばかりは、おばあちゃんも台所に参戦。明日から数日間の祝日中に頂く伝統料理、オポール・アヤム(Opor Ayam 鶏肉の煮込み料理)の支度が始まります。
その隣では、祝日の挨拶にやってくるお客様達に振る舞う茶菓子が一つ一つガラスのポットに詰め替えられていきます。私の下宿先では、このガラスのポットは普段はほぼ使われることなく大切にしまわれていて、一年に一度の貴重な出番を待っています。祝日の一週間ほど前に食器棚の中から取り出され、丁寧に洗って食卓の端にきれいに並べられ本番に備えます。ポットが出番を待っている間に、茶菓子の一つとして供される豆菓子(材料はピーナッツ)、カチャン・テロール(kacang telur)が手作りされます。

祝日前夜、夕方のお祈りの呼び声とともについに断食が終わりの時を迎えます。断食明けの甘い紅茶も今夜が最後です。長かった断食の終わりに、ふぅ~っと安堵の息を漏らしながらも、特別な時間が終わりを告げてしまうことに一抹の寂しさも感じます。それでも無事に断食を終えることが出来た喜びで、皆の顔から穏やかながら誇らしげな笑顔が零れ落ちます。
ちょっぴり複雑な気持ちを抱えながら一杯目のお茶を飲み干すころ、下宿先の外ではお祝いの空気が漂い始めます。祝日前夜は、断食の終わりを告げる祈りの声 (Takbil) があちらこちらから聞こえてきます。その中には子供たちの幼い声も混じっています。この祈りの声は、夜遅くまで続きます。

 

祝日の朝

待ちに待った祝日の朝。お休みとはいえ、まだ朝寝坊は出来ません。朝6:00頃、祝日の日の特別なお祈りが行われます。この日だけは、近所の道路がお祈りの場所に早変わりします。隣近所の人が集まってみんなで一緒にお祈りをします。

このお祈りが終わったら一気に忙しくなります。それぞれが、親せきや昨年お世話になった人のもとへ挨拶に回ります。子供たちは隣近所の家を回って、日本のお年玉のようなものをもらったりします。
私の下宿先にもたくさんの人が代わる代わる挨拶にやってきます。家主は、精一杯のおもてなしでお客様をお迎えします。お客様の中には毎日顔を合わせているような人もいれば、祝日でなければなかなか会えない遠方からやってくる人もいます。お互いに祝日の挨拶を交わし合い、しばしの歓談。ここで、お茶菓子をいっぱいに詰め込まれた、キラキラのガラスポットが満を持しての登場。お客様をお迎えするテラスのテーブルの上に、所狭しと並んだポット達。そのポット達を囲んで、小さな子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、思い思いのお菓子をつまみながら、それぞれの話に花を咲かせます


<テーブルの上に並べられたポット達>

朝一番のお客様の波が一息つく頃、代わる代わる朝食を頂きます。前日に用意された断食明けの祝日の為の伝統料理、オポール・アヤムを頂きます。この料理はいつものご飯ではなく、クトゥパット(Ketupat-お米をヤシの若葉で編んだ小さな籠の中に詰めて茹でたもの。つるして風にさらしておけば2~3日ほど日持ちします)と、あわせて頂きます。


<下宿先でのオポール・アヤム。野菜やゆで卵も入ってます。>


祝日が近づくと、あちらこちらにクトゥパットを売るお店が出現します。
私の下宿先ではこちらも手作り。通常、売っているものより一回り大きめのぽっちゃりサイズです。

そうして、お客様の足は夜遅くまで途絶えることなく続きます。この日ばかりは下宿先のお母さんに料理をするひまはありません。それどころか、ゆっくり食事をとる時間もありません。途絶えることのないお客様のお茶を準備したり、お菓子を進めたり、子供たちの遊び相手になったりと大忙し。それでも、お母さんの笑顔が途絶えることもありません。下宿先のお母さんのとんでもなく凄いところです。

こうして断食明けの祝日には、互いにご挨拶に伺ったり、伺われたり。そんな忙しさの中で互いの無事を喜び合ったり、お世話になった感謝の気持ちを伝えたり、意図せずして出来てしまったわだかまりを水に流し合ったりしているように見えます。もちろん、そうした気持ちをすべて直接口にするわけではありませんが。
この忙しさの中には、日本語で言うなら 「おたがいさま」、「おかげさまで」 の気持ちが詰まっているように思います。お茶菓子のいっぱい詰まったポットや、お米がいっぱい詰まったクトゥパットの様に。

 

“ありがとう” と “ごめんなさい”

日頃、なかなか口にすることの出来ない「ありがとう」と 「ごめんなさい」。たとえ言葉にすることがかなわなくても、この特別な祝日にはそうした気持ちが伝わるのかもしれません。そんな祝日の光景を見ていて、これまで言葉にできなかった沢山の 「ありがとう」と「ごめんなさい」をソロから遠く離れた日本の家族に伝えたくなりました。もちろん、ソロでの下宿先の家族にも。

因みにインドネシア語では、「ありがとう」を「Terima kasih」、その返事として「Sama-sama(サマ‐サマ)」(おたがいさま)という言葉を使います。この時の「サマ-サマ」には、どういたしまして、こちらこそありがとうという気持ちが込められているように思います。「Sama-sama」の代わりに「Terima kasih kembali」(ありがとうをお返しします)という表現が使われることもあります。頂いた「ありがとう」に「ありがとう」をお返しする。なんだが素敵な表現です。

そして、「ごめんなさい」は、「Minta maaf」。その返事として「Tidak apa-apa (ティダッ アパ‐アパ)」(なんでもありません)という表現が使われることもあります。この時の「ティダッ アパ‐アパ」には、気にしないでください、おたがいさまですよ、という気持ちが込められているように思います。「Sama-sama」の気持ちが見え隠れする素敵な表現です。
偶然にも、「サマ-サマ」という音、また、そこに込められた同じような気持ちで、インドネシア語と日本語が繋がっているような気になります。言葉は違っていても、大切な人に伝えたい気持ちは、同じなのかもしれません。言葉に込められた、大切な思い。「ありがとう」、「Terima kasih」、「ごめんなさい」、「Minta maaf」。思いの詰まった言葉のガラスポットが、キラキラと輝いているようです。

 

2024年4月15日
ソロでの祝日に寄せて

この記事を書いた人

川﨑 尚美

インドネシア共和国 国立セベラスマレット大学 日の出医療福祉グループ寄付講座 日本語講師

日本での大学在学中、インドネシアのジャワ更紗と出会い、その魅力の虜となる。ジャワ更紗の魅力が忘れられず、人生の紆余曲折を経て、40歳を目前にジャワ更紗の生産で有名なインドネシアーソロへと留学。
同地、スブラス・マレット大学にてインドネシア語を学び、同大学大学院にて修士号、博士号取得。
大学院在学中、ハルジョナゴロ工房にて、ジャワ更紗の製作にも挑戦。
日の出医療福祉グループの人材育成プロクラムの支援活動に携わる。